ニートの私が選んだWEB担当への道 その2

さてさて、ニート生活が始まりました。

調べてみると(調べとけ)、翻訳スクールなるものが地元の大阪にもあったので、資料を取り寄せてみることに。
※注意※スクールのWebサイトなんてものが、当たり前ではない時代です。

そのスクールの授業内容は、産業翻訳コースとエンターテイメント翻訳コースの2種類に分かれていて、エンターテイメント翻訳コースは更に出版翻訳コースと字幕翻訳コースに分かれていました。

私が選んだのは、字幕翻訳コース。

戸田奈津子先生に憧れていて、いつかトムクルーズとテレビ共演するのが当面の目標でもありました。
授業料は、初心者→中級者→上級者と、レベルが上がるにつれ高くなるというスタイルで、まずは初心者コースと思い料金表を見ると…

「半年で20万円か…まあまあ、するな…」

新卒就職を諦めて「翻訳家になるぞ!」と一念発起した人間とは思えない、見事なひるみっぷり。しかも初心者コースだけで半年。すべて修了するまで3年近くかかるのか…更に授業料は余裕で100万円を超えてしまう。うぐぐぐぐ。

1年くらいで戸田奈津子先生になれると考えてたおバカな私は、いきなり出鼻をくじかれたのですが、自分の計画性の無さを反省するでもなく、しぶしぶ申込書に記入を始めました。と、最後の最後で衝撃的な文字が目に飛び込んできました。

申込み期限:1995年2月末日

「す、過ぎている…しかもとっくに…」

資料が届いてから、だらだらと大学生活を引きずる生活を続けているうちに、私はどうやら周回遅れになった模様。次の入学タイミングまであと半年。さすがに何もしない訳にもいかず、通信教育で翻訳の勉強に取り組むことにしました。

毎日朝7時に起床。8時から12時まで勉強。昼食を1時間取り、13時から3時間ほど机に向かい勉強。夕方は耳を英語に慣らすため、映画を1本観る。

そんな生活を1ヶ月間くらい続け、挫折。

「こ、これは、続かない…」

そりゃ続かないですよ。そもそも自分で選んだ道のように思えていたけど、それは大きな間違いで、周りの体裁を気にして無理やり出したゴールに、後付けのように辻褄を合わせて行く「単純作業」のようだと感じ始めていたのです。最終的に翻訳家になれば、全て辻褄が合う、ってね。

完全にその作業に飽きてしまった私は、バイトでもすっかな、とバイト探しを始めます。なにか面白そうなバイトないかなーと思い、アルバイト情報誌を見漁っていると、たまたま目についたのが「写真屋」のバイト。

デジカメの「デ」の字もなかった当時は、フィルムから写真を現像&プリントするのが当たり前。街のいたるところに「スピード仕上げ」の看板を掲げた「写真屋」がいくつもありました。なぜ写真屋を選んだかというと、私は昔から、映画とか、写真とか、美術とか、ゲームとか、ビジュアルに関することには少し興味があったのです。

私が選んだのは24時間営業の「しょうちゃんの写真やさん」というチェーン店。履歴書を持って面接に行くと、店内から現れたのは私より5歳年下のヤンキー上がりのエイジ君。すぐにエイジ君に面接してもらい、その場で採用が決定。翌日から晴れてフリーターデビューすることになりました。

私の心をいくつも貫通した、就活の時の不採用通知から約半年。

どんな形であれ「一緒に働こうよ」と言ってもらえるのは嬉しいものだな、と感じた瞬間でもありました。

でも、早くもニート脱出でフリーターになったもののゴールを見失ったままの私。

人生の目標に辿りつけるのは、いつのことになるやら。