ニートの私が選んだWEB担当への道 その4

スクールに申し込む前、本当に字幕翻訳をやりたいのか、立ち止まって考えてみることにしました。

字幕翻訳は、映画が好きという理由だけで選んだのですが、実は出版翻訳にも興味がありました。字幕翻訳と出版翻訳の大きな違いは、字幕翻訳には圧倒的な「文字制限」があるということ。一番気にしないといけないのは、字幕がカット割りのスピードに、ぴったりと合っていないといけない、という点です。

つまり、人間が一秒間に読み取れる字数と言うのは1秒間に4文字程度で、その範囲内でちゃんと伝わる日本語を考えなければなりません。

マシンガントークでで知られるエディ・マーフィーロビン・ウィリアムスジム・キャリーが話す場合と、老人がゆっくりと話す場合とでは、同じ10秒間でも言葉の数が違い、情報量が異なります。早口の俳優の台詞を翻訳する時は、どうしても台詞の削ぎ落しを余儀なくされてしまいます。

大学卒業当時は、こんな基礎的な情報も得ぬまま、えいやーで字幕翻訳の道を選んでしまいましたが、将来字幕翻訳家になるにしても、じっくり翻訳と向き合うという意味では、出版翻訳をまずは専攻したいと思いが強くなり、出版翻訳コースに申し込みをすることにしました。

出版翻訳コースの授業は月に2回、90分×2日で、与えられた課題を自宅で翻訳し、先生(プロの翻訳家の方)に期限までにメールで提出します。1クラス8人構成で、授業では8通りの翻訳を紹介しながら、より良い表現をみなで探っていく、というものでした。

お題になるのは、短編小説や長編小説の一部、ジャンルはSFからロマンスまで多岐にわたりました。

はじめてみて分かったことは、翻訳に求められるのは英語力よりもむしろ、日本語の引き出しの多さ、泉のような語彙力です。「一歩を踏み出す」という言葉にも、「歩き出す」「歩き始める」「歩み出す」「進みだす」「踏み出す」など、微妙にニュアンスの異なる同義語が存在します。私たちが機械翻訳にまだまだ違和感を覚えるのは、文脈やシチュエーションによって無数にある同義語の中で、「walk」という単語が様々な日本語に変化するからです。

「日本語って奥が深いな」

徐々に翻訳の面白さに気付いた私は、次第に翻訳の世界にのめり込んで行きました。様々な本を読み漁り、気付けば3年が経過していて、私は上級者コースにいました。

幸運なことに、当時の先生からアルバイトとして校正のお仕事を頂いたり、先生のお仕事のアシスタントをさせて頂いたりして、少しばかりの収入を翻訳から得るまでに成長したのでした。

そんな中、我が家である事件が起こりました。その事件は今でも家族全員の運命を変えてしまうほど、インパクトのある事件でした。 

ニートの私が選んだWEB担当への道 その3

晴れてニートからフリーターになった私。

仕事の内容はいたって簡単で、現像に来たお客様のフィルムを預かり、ご希望の大きさにプリントするというもの。

フィルムは現像機に設置すれば、自動的に現像され、1本のネガとなって出てきます。

そのネガを今度はプリンターに設置し、ひとコマひとコマ、色調やプリント位置を調整しながら、ボタンを操作しプリントします。

プリントが終わったら検品台で、写真にゴミが写り込んでないか、色調は問題ないか、逆光で顔が暗く写ってる写真は露出を上げるのですが、それが漏れてないか、などをチェックします。

写真屋が写真を見ずにプリントすることは不可能ですので、写真屋のスタッフに中を見られてないと思われている方は要注意。今後は、あなたがどこで何を食べて来たかなどは全てお見通しされていると覚悟の上、プリントに出して下さい。もちろん全てはプリントの品質を保つための業務行為となります。

そんな単純作業のバイト生活。いい歳して、私はバイト仲間達とつるむことに一生懸命になり、今から思い返してもあんなに飽きるまで仲間たちと一緒にいた時期はありません。

まっちゃんは、フリーターでバンドマンを目指し、あっちゃんは、美大生で照明屋を目指し、エイジは将来店を持つって貯金をいっぱいしていて、もりちゃんはダンサー志望、ヨシオカさんはお寺の息子。

毎日バイト先で顔を合わし、夜はそのうちの誰かと朝まで飲んでいる。カラオケ、麻雀、旅行、ケンカ、恋愛、ドライブ、何だってみんな一緒にやった仲間でした。

でも、「私だけみんなと違う」ことに薄々気付いていました。みんなには人生の目標があって、私にはなかったのです。

「これじゃ、いかん」

ある日、あっちゃんの家に泊まったとき、何となく将来の話になりました。翻訳のことをポツポツと話すと、「かっこいいね!いいんじゃない?応援するよ。何もやらないより、ちょっとでも興味のあることやってみたら。で、最後までやって、駄目だったらその時また考えてば?私だって、最初から本気で照明やりたいと思ってたわけじゃないしさ」

その時、自分の中で殻のようなものがポロポロ砕けて落ちるような感覚になりました。大学生の頃は、私が翻訳家になるという話は、恥ずかしくて周囲の友人に話せませんでした。あっちゃんは、ニコニコしながら、応援するよと言ってくれた。それでいいじゃんって言ってくれた。何だか、魔法のようなその言葉で、私のやる気がムクムクと持ち上がるのが分かりました。

それから私は仲間たちとの時間を削り、バイトの時間も削り、翻訳スクールに今度こそ申し込みをして、ゴールが翻訳家になるか分かりませんが、自分の目標探しの旅を再びスタートさせたのでした。

卵が先か、ニワトリか

昨日、社長室に呼ばれ、正式に昇格の話をいただきました。

入社3ヶ月、この会社に期待するところや、不満はないかと聞かれ、普段思っていることをいろいろ話しました。

その中で1つ、すごく考えさせられたことがあります。

私はディレクターにはコスト意識が必要だと思ってます。

我が社の収益はクライアントの売上に対する「レベニューシェア」で、運営にかかる費用は我が社持ち、という特殊な契約スタイルです。基本的に私たちの収入はそのクライアントの売上の○○%となり、クライアントの売上規模に大きく左右されます。

同じ改修をA社とB社で行っても、A社の売上が高く、B社が低い場合、A社では利益がでるけど、B社は赤字、なんてことが起こるのです。

社長は、ディレクターにはあまりコスト感覚をつけたくないと言います。

赤字が出るから「やらない」は、クライアントの成長を止めてしまうから。

卵が先か、ニワトリか。

難しい問題ですが、私はそれでも収支は知っておくべきだと思います。赤字のB社がその改修で次月から黒字になるなら、(そんな極端なケースはあまりないですが)赤字でもやるべき改修はやるべきです。

そこで、判断をするのが、私たちの仕事。

赤字になってでもやるだけの勝算があれば、問題ない。赤字を減らす努力は必要。

トータルでジャッジできるのが、最も理想的なんじゃないかな。と思う次第です。

ニッチ?運用ディレクターという仕事

ここ数年「何のお仕事されてるのですか?」と聞かれると、答えに迷います。

アンケートや何かにプロフィールを登録する際、職業選択の項目で、これだというものを見つけた試しがありません。

私のお仕事は、WEBディレクターと、運用コンサルタントとを兼ねあわせた、「運用ディレクター」(私が勝手にそう呼んでいるだけ)なるものです。

ニッチ過ぎて説明が大変なので、いつも「WEBディレクター」と言うことにしています。

私たち運用ディレクターの仕事は多岐に渡ります。一言で言えば、「クライアントが運営するECサイトの運用サポート」です。サポートという表現を使うと、

「オンラインショップの運営でお困り事があればお手伝いします」

みたいなイメージになってしまいますが、(中にはそう言うスタンスの人もいますが)違います。

「困り事は私たちがお手伝いするので、一緒に売上を上げましょう」これが、私たち運用ディレクターの仕事と考えています。

●クライアントから依頼された商品登録

●サイト更新のためのマニュアル作成

●サイトトップにautoload機能の実装依頼

●来月のプロモーション計画作成

ノベルティ送付者のリスト抽出方法を考える

●数値レポート作成

●契約書の作成

●新規立ち上げサイトのワイヤー作成

●欠品発生の原因調査と在庫付け合わせ作業

●エンドユーザーのクレームに対する対処法を提案

Instagramトークン取得指南

ざっと上げた、私の今日1日のタスクを見ての通り、「これってWEBディレクターの仕事?」と思えるものがチラホラあります。

私たちの商売道具は、WEBデザイナーやエンジニアのような専門性の高い知識やスキルではなく「オンラインショップを安定運用し、売上を上げるための」ノウハウです。私たちは、1人で出来ることは少ないですが、WEBデザイナーやエンジニア、カスタマーサービス、倉庫、広告代理店、SEO業者、などなど、色々なところと連携して、クライアントのECサイトの課題に対する答え、もしくは選択肢を導き出します。

ですので、運営に関わる全ての各プロフェッショナルが何を知っていて、何ができるのか、を知っている必要があるのです。

少し具体的に話をすると、今日チームの新人ちゃんが、何やら困っていたので声を掛けてみました。

新人ちゃん「クライアントから期間限定セールの指示が来て、指示通り設定したのですが、これ見てください、どう思いますか?」

よく見ると、販売前の予約商品がセールになっていました。

わたし「どこが問題だと思うの?」

新人ちゃん「セールのアイコンが優先されてしまって、プレオーダーのアイコンが消えてしまったんです。カートボタンが「予約する」になってるから、分かるとは思うのですが。プレオーダーアイコンも表示できるように開発会社に頼んだ方が良いですかね?」

クライアントの指示に疑問を感じた点は◎。中には何の疑問も抱かず、言われたことをそのまま作業だけして、完ぺきと思う人もいるのです。そこで私は、

わたし「そうだね、確かに分かりづらいかも。でもその前に、予約商品ということは、まだ出荷されていない商品だよね。新人ちゃんは、自分の買った商品が、まだ手元に届いていないのに、セール価格になったらどう思う?」

新人ちゃん「ちょっと嫌です」

わたし「だよね。その商品を買ったお客様はがっかりして、だったらキャンセルしたい、セール価格に変更して欲しいって、きっと言うよね?お店に対するイメージも良くないよね?クライアントは、そういうことが起こることに気付いていないのかも知れない。だとしたら、それをお伝えするのが私たちの仕事だよ。そして、予約商品をセールの対象外にするか、注文を頂いてるお客様の価格をセール価格に合わせるかの提案ができないかな?」

ノウハウを売るというのは、目の前に石が落ちている、川が流れている、その水は飲めない、あっちに木陰があるなど、クライアントの先回りをして、情報を共有し、目的地にナビゲートすること。

 CSVファイルを使って、商品の価格をセール価格に変更するスキルだけでは、本質的な問題の解決にならないのです。

この場合は、カスタマーの知識と経験が必要で、自分がとるアクションによって、どう言う結果になるかを想像する、イマジネーションも多分に必要となるでしょう。

アイコンの件は、ユーザビリティが落ちると言う点では、改修するべきですが、そこはコストとのバランスを考える必要があります。

でも、せっかく新人ちゃんが気付いたことだから、コストの話はまたにして、判断は彼女に任せることにしました。

ニートの私が選んだWEB担当への道 その2

さてさて、ニート生活が始まりました。

調べてみると(調べとけ)、翻訳スクールなるものが地元の大阪にもあったので、資料を取り寄せてみることに。
※注意※スクールのWebサイトなんてものが、当たり前ではない時代です。

そのスクールの授業内容は、産業翻訳コースとエンターテイメント翻訳コースの2種類に分かれていて、エンターテイメント翻訳コースは更に出版翻訳コースと字幕翻訳コースに分かれていました。

私が選んだのは、字幕翻訳コース。

戸田奈津子先生に憧れていて、いつかトムクルーズとテレビ共演するのが当面の目標でもありました。
授業料は、初心者→中級者→上級者と、レベルが上がるにつれ高くなるというスタイルで、まずは初心者コースと思い料金表を見ると…

「半年で20万円か…まあまあ、するな…」

新卒就職を諦めて「翻訳家になるぞ!」と一念発起した人間とは思えない、見事なひるみっぷり。しかも初心者コースだけで半年。すべて修了するまで3年近くかかるのか…更に授業料は余裕で100万円を超えてしまう。うぐぐぐぐ。

1年くらいで戸田奈津子先生になれると考えてたおバカな私は、いきなり出鼻をくじかれたのですが、自分の計画性の無さを反省するでもなく、しぶしぶ申込書に記入を始めました。と、最後の最後で衝撃的な文字が目に飛び込んできました。

申込み期限:1995年2月末日

「す、過ぎている…しかもとっくに…」

資料が届いてから、だらだらと大学生活を引きずる生活を続けているうちに、私はどうやら周回遅れになった模様。次の入学タイミングまであと半年。さすがに何もしない訳にもいかず、通信教育で翻訳の勉強に取り組むことにしました。

毎日朝7時に起床。8時から12時まで勉強。昼食を1時間取り、13時から3時間ほど机に向かい勉強。夕方は耳を英語に慣らすため、映画を1本観る。

そんな生活を1ヶ月間くらい続け、挫折。

「こ、これは、続かない…」

そりゃ続かないですよ。そもそも自分で選んだ道のように思えていたけど、それは大きな間違いで、周りの体裁を気にして無理やり出したゴールに、後付けのように辻褄を合わせて行く「単純作業」のようだと感じ始めていたのです。最終的に翻訳家になれば、全て辻褄が合う、ってね。

完全にその作業に飽きてしまった私は、バイトでもすっかな、とバイト探しを始めます。なにか面白そうなバイトないかなーと思い、アルバイト情報誌を見漁っていると、たまたま目についたのが「写真屋」のバイト。

デジカメの「デ」の字もなかった当時は、フィルムから写真を現像&プリントするのが当たり前。街のいたるところに「スピード仕上げ」の看板を掲げた「写真屋」がいくつもありました。なぜ写真屋を選んだかというと、私は昔から、映画とか、写真とか、美術とか、ゲームとか、ビジュアルに関することには少し興味があったのです。

私が選んだのは24時間営業の「しょうちゃんの写真やさん」というチェーン店。履歴書を持って面接に行くと、店内から現れたのは私より5歳年下のヤンキー上がりのエイジ君。すぐにエイジ君に面接してもらい、その場で採用が決定。翌日から晴れてフリーターデビューすることになりました。

私の心をいくつも貫通した、就活の時の不採用通知から約半年。

どんな形であれ「一緒に働こうよ」と言ってもらえるのは嬉しいものだな、と感じた瞬間でもありました。

でも、早くもニート脱出でフリーターになったもののゴールを見失ったままの私。

人生の目標に辿りつけるのは、いつのことになるやら。

 

ニートの私が選んだWEB担当への道

大学を卒業して、少しの間(5年くらい)ニートとフリーターをしていた私。「働く」という意味があまり理解できず、若い頃はずいぶんそれで悩みました。

オンラインショップの世界にハマり、今は幸いにも多くの企業様の運営支援をさせて頂けるまでになった、紆余曲折の経歴を綴っていこうと思います。

私は、比較的裕福な家庭に生まれ、それなりの学校に通い、大学入学までは特にこれといって悩みもなく、何不自由なく暮らしていました。

大学3年の前半までは、周囲がバイトや合コン、恋愛、サークル、遊ぶことばかりに一生懸命な中、私も例外にもれず、バイトやサークル、趣味の海外旅行などで日々を費やし、絵に描いたようなキャンパスライフを送っていました。

しかし大学3年の後半ともなると、友人達は突然、自己分析やら、セミナーやら、資格取得の話ばかりし始めます。

「自分の中で1番大切なものは何?」

「何のために働くのか?」

「自分の長所と短所は?」

そんな友人の問いに、もう1人の友人が

「大切なものは信念。自己実現のために働く。長所は明るい性格で、短所は楽観的過ぎるところ。でも、意識して慎重に物事を判断するよう心掛けています。」

まるで分厚いステーキがジュージュー焼けそうな「鉄板」回答は、今朝方までカラオケでロマンスの神様を歌い上げていた私には、もはや宇宙人の会話にしか聞こえませんでした。

いわゆる「就活戦争」が勃発し、完全に出遅れた私は戦場にほぼ丸腰で、ただただ呆然と突っ立っているだけ。

まあ、準備不足といいますか、私だけが「大人になる」ってことを全く理解していなかったのです。

とりあえず惰性で合同セミナーに参加してみたり、まだアパレル業界が元気だったので、「洋服が安く買える♪」なーんて、浅はかな考えでアパレルメーカーにエントリーしてみたり、有名企業を見れば、「この会社知ってる知ってる!」くらいのレベルでエントリー。

しかしそんな薄っぺらい動機と丸腰の状態を、面接官の方々はまるっとお見通しで、「不採用通知」と言う名の弾丸が、私の無防備な心を次々と貫通して行くのでした。

「え…。本気で考えないと、やぱいのかな。本当に自分がしたいことって一体何???」

頭で考えても分かるハズないのに、妙な焦りが無理やりどこかから答えを出そうとします。

そういえば、高校までは英語が大好きで、将来翻訳家になりたいって思っていた。大学生活でほぼ英語から離れてしまい、その道を諦めてしまっていたんだ。

「そうだ、翻訳家になろう」

と、京都に行くような気軽さで、またまた安直に決めてしまうぺらっぺらの私。(ちなみに大学の専攻は商学

翻訳には専門的なスキルが必要で、ぬるい大学生活を3年も送ったヌルヌルのなめくじ状態の私が、軽々しく就ける職業ではございません。

「うーん、じゃあとりあえず勉強からかな。」

同級生たちは、名だたる有名企業に就職先が決まり、晴々と卒業式を迎える中、私は半分ニートしながら独学で翻訳家を目指す道を選びました。

今から考えても、いつ振り返っても、本当に行き当たりばったりで人生を決めてきた私。まあ、なんとかなるっしょ。という軽い気持ちでした。

世に言う完全なるドロップアウト。ここまで読んで下さった多くの人が「この親不孝ものめ!」とお怒りかも知れませんが、おっしゃる通り、異言はございません。高校、大学と私立に通わせてもらい、最終的に選んだのがニート生活。反論の余地も無いほど、親には心配を掛けたと、心から申し訳なく思っています。

父ちゃん、母ちゃん、ほんっとごめん。

つづく